親戚のじいちゃんが亡くなった・・・
親戚のじいちゃんは病室で「もう十分楽しく生きたから満足だ」と言っていた。
じょじょに食べる量も減っていき最後の4日間は水しか飲まなかったらしい・・・
ちょうど東京にいた時連絡がはいった。
親戚のじいちゃんが亡くなったと・・・・
覚悟はしていたけどはっきり言って信じられなかった・・・・
連絡の入った次の日の早朝高速バスで帰る。
自分の中では親戚のじいちゃんは亡くなっているイメージなど全く想像もできなかった・・・
親と一緒に親戚の家にいった。
二階のじいちゃんの部屋にじいちゃんはいるらしい。
親と一緒にじいちゃんの部屋へ、
親は一足先に参っていたらしく僕をじいちゃんの目の前に座らしてくれた。
じいちゃんの顔にかかっている白い布を自分ではとることができなく、
自分の母さんにとってもらった。
じいちゃんはすごい満足げな顔だった。
でも僕はそこでじいちゃんが本当に死んだんだと実感した。
かってに涙が出てくる・・・・
わんわん声をだして泣いてしまった。
もうじいちゃんはこの世にはいないんだと・・・
そして僕はじいちゃんは悔いのない一生を終えたんだと・・・
2010年10月26日 | インフォ2, プライベートなこと | コメント(5 )
最近はなんだかつかれました。2010年11月5日21:34
[…] 更新遅れてすいません。 実は最近親戚のじいちゃんが亡くなった・・・んです。 […]
匿名2010年11月6日00:10
空気読まずマジレスしてみる。
子供の頃に影響を強く受けた人が亡くなったのか。
でも満足そうな顔だったなら良かったじゃないか。
結構本人はそういう歳になるともう割り切れてるから
逆に周りのひとの方がショック受けるな。
それだけはっきりと生きたってことなんだろうな。
管理人サンの涙が悲しみなのか感動なのか別のものなのか、それぞれ混ざったものなのかわからないが、まぁ…しばらくすればぼんやりわかるようになるさ。
そしたらまた一歩だか半歩だか成長してるのかもな。知らないうちにな。
ネオニート忍2010年11月6日13:06
今のやり場のない気持ちも
>>2さんのような温かい方からのコメントで救われます。
このような記事は本当はこんなブログに書くものではないと思うんですが、
自分一人で抱え込めるほど自分は強い人間ではないのです。
誰かに今の心境を話して共感してくれる人を探して私の傷をなめて欲しいなんて図々しく甘い考えでこの記事を書いたのですから・・・。
hau2011年8月6日04:10
管理人さん、今は精神的に大丈夫なのかな?
大切な人の死って、一年くらい経てば感覚が薄れていくと思うんだよね。個人差もあるだろうけど。
それに気づいた時、自分はなんて薄情なんだろうって悲観するかも知れないけど、それは間違い。
こうやって、おじいさんが亡くなった抱えきれない悲しみを日記に綴った過去があるのだから、決して薄情なんかじゃないよ。
記憶が消えるってのは人間の摂理。仕方がない。
ただし記憶から消えても、おじいさんは管理人さんの心の根底に強く残っている。
だからその心は大切にしないとね。何があっても。
と余計なことを言ってみたり。
自分も祖父を亡くして結構経つので、上記のような葛藤に悩まされたことがあるんだよね。
本当に余計でしたらすみません。
フランちゃんの作品クリアした後に何となくプロフみたら歳めっちゃ近くてわろた。
何も創り出せない俺に比べて、管理人さんはすごいね。
これからは陰ながら応援するよ。
以上、長文失礼しますた。
ネオニート忍2011年8月6日15:45
hauさん
心配してくれてありがとうございます。
こういうコメントをいただくと元気がでます。
今は精神的にもだいぶ落ち着いています。
最初のころにくらべたら感情はだいぶ薄れてきています。
でもふとしたきっかけでじいちゃんとの思い出を思い出すと目がじわじわしてしまいます。
もういないんだと・・・。
記憶は時間がたつにつれて薄れていくのかもしれません。
しかし、じいちゃんの家に行くとなにも意識しなくてもあのころの思い出がすべて鮮明に蘇ってくるのです。
じいちゃんとすごした日々は私にとってそれほどのものだったのかもしれません。
では今後ともよろしくお願いします。